山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日

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山本慈昭は長野県下伊那郡会地村にある長岳寺の住職であり、国民学校の先生でもあった。 昭和二十年五月一日、敗戦間近に三つの村の村長に説得され、一年だけと言う約束で満州へ渡る。 八月九日に、日ソ不可侵条約を破ってソ連軍が一方的に攻めてくる。八月十五日の敗戦もわからずに逃げ廻るが、女子供を抱えてシベリア国境近くの北哈嗎の町より逃げても、なかなか先に進まない。列車もなく、橋は関東軍が逃げる時に壊して行き、平原を歩くとロシア兵に捕まるので山の中を歩き、食料もなく死の旅であった。

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